
松岡英明ロングインタビュー(PART 1)
text+interview:suemi watanabe(office Oasis)
自分では必要性を感じて、使命感をもってつくりはじめたことが原点なので
● まず、古い話から聞かせていただきたいんですが、松岡くんは結果的にソロでデビューという形になったんだけど、実は一度、バンドでコンテストに出ている。
松岡:はい
● 今振り返ってみて、当時はバンドでデビューしたい気持ちもあった。
松岡:そうですねぇ。逆に言うと、当時はバンドでデビューすることしか頭になかったので。それくらいバンドにこだわっていました。ともすれば、今思うと、まだ中学生や高校生の頭で考えてたことなので(笑)。学校内のことやバンド仲間のことと、世間で活躍しているアーティストと、ごちゃ混ぜにして同じ土俵にのせて考えてしまってたところがあると思うんですよね(笑)。
そういう部分で言えば、自分が今やっているバンドでいける!!と思う部分と、自分が大好きな、憧れのアーティストに対抗していくには、運命的なメンバー達と出会って伝説のバンドが組めるような、そんな状況でも訪れてくれないかななんて思う部分があったり。なんか今振り返ると笑っちゃうような次元でですけど、バンドという形にこだわってたところは、どこかにあったと思います。
で、高校ぐらいで、デビューに手が届きそうな話が少し出はじめていたので、その時に組んでいたバンドでデビューしたい気持ちが強かったと思うんですよね。ただ、その先のことまでは…頭の片隅にはあったものの、新しいメンバーを探そうということになる前に、ソロということも含めてデビューという話になったので
● コンテストを受けたバンドでデビューしたいと、レコード会社の人には言った。
松岡:はい。その方向で話を進めかけてはいたんですけど、レコード会社の人たちは、もともとソロで話をしたかったみたいなんですよね。で、僕が『バンドで』と、ずっと言い続けている中、かえってバンドのメンバーのほうも…今思えばですけど…多分僕に気を遣って『レコード会社のほうは松岡のソロで考えているんじゃないの?』って、メンバー間で話してくれたのか、高校三年で受験もあるし、進路を決めないといけない時期ということもあって『今、わからない世界に飛び込むところまでは、決心できない』という話がメンバーからあったんですね。それで、ソロでいくという話に、最終的にはなったんです。
ただ、キーボードの子が、当時『神童』と呼ばれていたほどの子で、特にその子とは本当は一緒にやりたかったですね。その子がデビュー・アルバムの『Visions of Boys』の大もとの編曲を手がけていて、二枚目のアルバムのタイトル曲でもあった『Divine Design』という曲も、もともとは、その子がアレンジをしたものに、僕がメロディーや詞をのせて作ったという形だったんです。…別の言い方をすると、僕の大もとにあった音楽の基盤みたいなところは、彼と一緒に作っていったという面も、非常に大きいと思っているんです。
でも、その後、『Divine Design』の初回プレスが出来上がってきてから、クレジットの表記関係のことでモメちゃって、今は悲しいかな、絶縁状態なんです。当時、僕もまだ若かったから、大人の事情で、僕が仕切ることのできないことがたくさんあったり、立ち止まって周りを見たり考える暇もなく突っ走っていた時期だったので、本当に現実的に彼の要望に対応できなかった上に、人間としての思いやりや配慮にも大きく欠けた所で、彼に屈辱的な思いをさせちゃったことがあったんです。個人的には、これまで、これだけ日本のトップレベルの素晴らしいミュージシャン達と仕事をしてきても、それでも、彼以上の才能や技術を持った人には今だに出会った事がないので、彼の才能は本当に類い稀なる世界的な高いレベルのものだと思っているし、機会があれば音楽を愛する人間として、彼とコラボレーションしたい願いを今も持ち続けてるので、本当に心苦しいんですけど
● 結果的に、ソロでデビューしたことについては、結果オーライ的な気持ち。
松岡:そうですね。これも出会いでしかないのでなんとも言えないですが、未だにバンドだったらなと思うこともあるし
● やっぱり、あるんだ。
松岡:作業としては楽しいですし、自分がそういうメンバーと出会えて、パートナーであるメンバーに信頼を寄せて良い関係性ができれば、それは本当に楽しいことだと思いますね。
ただ、結果のところでしか考えられないことですけど、これだけ自分が音楽性にこだわったり、考え方にこだわったりする意味でいえば、協調性をもってバンドのメンバーと長くやっていけたかと考えると、ひとりだったからこそ、ここまで自由にやってこれたのかなとは、思いますね。ソロワークとは別にバンドがあれば楽しいでしょうけどねぇ
● それがユニットである、TV-NOiZに…
松岡:そうですね(笑)。つながってきているのかも知れないですね
● 松岡くんのことをすごいと、今改めて思うのは、『Visions of Boys』でデビューをして、今年の3月にリリースされたベストアルバムのタイトルが『IS THIS MY VISION?』。でも、『IS THIS MY VISION?』という言葉は、『Visions of Boys』の歌詞の中にあるんだよね。
松岡:そうですね
● しかも、『ヴィジョン』という言葉の訳し方が、当時高校生だとは思えないくらいすごい。
松岡:書いた時は、まだお酒もタバコも許されない17歳でした(笑)
● ヴィジョンを、「直感力」と訳したり、「幻」と訳している。
松岡:はい(笑)
● あれは、本当にすごいと思った。自分で英語の歌詞を書いて、そういう風に訳すことのできる人は知らないもの。
松岡:いやいや。逆に言うと、日本人だからできた遊び感覚というか、外国人が考えるのとは別のとらえ方をしたんだと思うんです。ただ、当時からずっと気になっていたのは…未だにその状況はあんまり変わってないような気がしているんですが…日本人がつくる英詞の曲って、外国人がつくる英語の歌詞とは、大きくかけ離れている気がしてて、そこら辺を、自分ではすごく変えたかったんです。『I LOVE YOU』『I NEED YOU』『I WANT YOU』みたいな歌詞だったり、最初に日本語で書いた歌詞を、直訳していくような歌詞のスタイルを。自分としては、外国人が実際に使っているような言い回しで、かつ、自分が書きたい幻想的な、あるいは抽象的で絵画的な、そういうスタイルの詞で、書いていきたいという気持ちが、多分、高校生の頃から頭にはあったんだと思うんですよね
● これは松岡くんが望んでいることでもあり、当時のレコード会社が望んでいることでもあったと思うんだけど、やっぱりヴィジュアルやサウンドが非常に脚光を浴びていて、そこにスポットライトが当たっている感じはしていたんだけど、多分、僕は当時から思っていたし、今でも強く思っているんだけど、松岡くんが書く詞は、とてもユニークだし、深い。だから本当は、松岡くんの書く詞に対して、英語の詞も日本語の詞も、もっと評価が高くても良いと思うんだけど。
松岡:ありがとうございます
● 本当に。
松岡:でも最近、よく思うのは、これがトータルとして、僕が生まれ持った資質なんだなと思ったり。あるいは、世の中のことで、僕自身も他者に対して、これがもっと評価されてもいいのになと思うこともあるんですけど、不思議なもので、世の中の流れには何一つ逆らえないなと思うんです。本当のバランスがどうやってとられてるものなのかというのが、なかなかわからなくて。ある一面だけをとると、これはもっとこうあったほうがって思うけど、結局、人はトータルで物事を捉えるので、その中でいろんなものすべてがクリアされていかないと、やっぱりそれが結果につながっていかなかったりするから。時には、それをチャンスと呼ぶ人もいるかも知れないし。
音楽性と人間性とは別のものだったりするから、たとえ、音楽で良いものを作れていたとしても、人間性で足りないことがいっぱいあるのかも知れないし。なんかそういう、僕には答えのわからない、いろんな物事が絡んでいると思うんですよね。で、だからこそ、逆に結果がすべてだと思ってもいるし。その代わり、同時に自分が信じているものを、信じ続けたいなとも、思っているんですよ
● わかります。
松岡:自分では、常に客観的な視点を持ちたいと思っていますけど、でも、結局は本人なので主観的な視点が基本になるから。客観的な視点はどこまでいっても客観『的』な視点でしかないので、自分自身で信じるものや、気づいたことがあれば、そこを頑張ることしかできないんですよね。
自分で気づいてないことに関しては、頑張るもなにも、自分でまだ気づいてないわけだから、ずっと欠落したままだったりもしちゃうので。せめてできることというのは、自分で気づいているところとか、直したほうが良いと思うところ、自分で頑張りたい、大好き、と思う物事に対してなんかを、努力することだったりして。それを少しでも強くしていくことによって、なにか他で足りないものを穴埋めしていくような形で、突破口を開いていくようなことしか、できないんだと思うんですよね。
だから、評価というものも、世の中的に天才と呼ばれるような雰囲気をつくれちゃった人に対しては、誰もがそういうことを言いやすい面があって、そこが次第に実像とは関係なく誇大化されちゃって、過大評価されてる場合も本当は多々あると思うんです。僕は、逆に言うと、そういったケースも含めて、短絡的な評価よりは、本当に意味や価値があるものとか、それを自分が信じるところで形にしたかったり残していきたかったり、伝えていきたかったり、するんだと思うんですよね。なにか自分では必要性を感じて、使命感をもって音楽をつくりはじめたことが原点なので。そうすると、それを見つけてもらえるかどうかよりは、それを作って残しておくことに重要性を感じてくるんです。いろんな物事に、自分が打ちのめされずに、またつくれるか、つくり続けられるかのほうが、自分としては大きな課題にはなっているんですよね
● なるほどねぇ。
松岡:だから、かえって僕なんかは、これがもっと評価されても良いのになと思うものがあるのと同時に、誰もが評価できる『雰囲気』を共有する事で、安心感を得ようとして評価してしまっているものもいっぱいあるなと思うんですよ
● たとえば。
松岡:誰かが言ってたことの受け売りで、みんなが安心するっていうか。隣の人もこれが良いって言っているから、良いんだなって思っちゃう感じとか。そういうところが、みんな多かれ少なかれあると思うし、日本人気質としても強いんだと思うんですよね。僕もレコ評を読んだだけでアルバム聞いたかのように自分の中に評価をインプットしてしまう時もありますから。だからこそ、大きく言うなら日本人として、いろんな意味で、周りの意見に左右されずに、独自の判断を下せる能力を、もう一度取り戻せたらいいなぁと思いますね
洋楽と邦楽の中間を、大手を振って歩きたい憧れが
● 松岡くんの場合、ソロ・アーティストとしてデビューして、作品を重ねていった時に、アーティストでありながら、アイドルに近いニュアンスで露出をしていってたと思うんです。そういう頃、楽曲をつくる時に、ファンの顔も浮かび、ファンの顔も気にならないと言えば嘘になるし。かたやもう一方、ビジネスとしての側面が脳裏をかすめないこともないだろうし。そういうバランスの中で、単に書きたいことを書くという以外の部分もあると思うんだけど、やっぱりそのあたりは苦労しました?
松岡:そうですね。特に若い時はそのことと格闘していたと思います。ただ結局は、それも含めて実は『自分の持っているイメージ』と戦っているんですよね。たとえば格闘や葛藤をする対象が、ファンレターでもいいし、ライヴでの反応でもいいし、売り上げの数字でも、スタッフの声でもいいんですけど、いろんなものを通して、何か確固たる理由や対象があるようでいて、実は、自分の中で勝手に『みんなは、こういう風に思っている』とか、『僕が期待されていることは、これなんだ』みたいなイメージを自分の中で膨らませてしまって、それをどうしたいのかと言うところで、虚像相手に右往左往するんですよね。だから、不思議と怪物みたいな相手と格闘することになるんですよ
● やっぱり怪物なんだ。
松岡:そうですね(笑)
● 怪物だよねぇ。
松岡:僕なんかは、イメージが先行しちゃってる部分があるので、余計にそのイメージが壊れることに関しては、拒否反応も大きいのかもしれないですよね。だけど、僕も同じようなことをしてしまうことがあるんですけど、たとえば映画の『ハリー・ポッター』の主人公とかって、一番はじめの頃のイメージが強烈な分、頭に焼き付いちゃってて、今のように青年になってしまったハリー・ポッターを、受け入れられる人とそうじゃない人が現れて(笑)。僕もついつい『なんかイメージ変わっちゃったよね』なんて言葉がふっと出ちゃったりするわけですよ。だけどラドクリフくんにしたら『俺は普通に成長しただけなのに』って思うだろうし(笑)。違う言い方とすると、ハリー・ポッターという役をやった男の子がそのまま成長した姿なわけで、それだけで考えれば、一番リアルな現実じゃないですか。
『彼が成長したらどうなるだろうね』と、僕らが勝手にイメージしていたこと以上に、それが本当のことなんですよね。
それは、受け入れる、受け入れないと言うより、それが本当のことで、それが現実ですよということでしかないはずなのに、それをなんかこう、軽い気持ちで『これってどうなの?』みたいに言ってしまう場面があって。
そういう風に、僕も外側にいる時は軽く言っちゃうのに、実際、言われる側の当事者になった時には、本人はありのまま、そのままでいることなのに、いろんな言葉が周りからバーッと飛び込んできて、そこに心ない中傷や非難があったりすると、本当に辛いことだったりするんですよね
● ヘヴィだよね。
松岡:(笑)。そこを、どう受け止めたり、どういう歩き方をしていくかっていうのは、非常に難しいことで。
よく思うことなんですけど、僕はテレビの画面の中で当たり前のように、身近な友達のような表現ができている人たちのことって、ものすごく尊敬しているんですよね。なぜかと言うと、カメラの前で自然体でいるというのが、いかに難しいことかというのを知ってしまったので。
テレビを見る側からしたら、出演者が普通に見えることは、本当に自然なことであって、そこに不自然な言動や行動の人が映ってたりした時の方が、単純に変なのって思うと思うんですけど、本当に様々な人が見ているカメラの前に立つ人間の心境的には完全アウェーの状況でサッカーをするのがいかに難しいかというのと似たような気分だったりするので、そういうのって、やっぱり周りから見てるのと当事者では全然変わって来ちゃうもんなんですよね。
そういうことが自分に降りかかってきた時には、その舵取りは未だに難しいことだなって思ったりしますよ。ただ、それができないと、嵐を越えていくことができないんですよね
● 18歳でデビューして20代というのは、言葉を換えればエピックの時代だったわけですが、その時代というのはどんな時代でした?
松岡:簡単に言葉をまとめてしまうなら、自分で振り返っても松岡英明の『黄金期』だったような気がするんですよね(笑)。で、あれから20年経っていて、エピックにいた時代なんて、濃い部分で言えば5年くらいしかないはずなのに、今、20年経ってみても、そこに八割方の自分の人生が凝縮されているような、そんな気がしちゃうんですよ
● そういう意味で、エピックというのはどういう存在ですか。
松岡:自分にとっては、どこまでいっても故郷やホームのような感じなんですよね。あそこがすべての始まりだし、ファミリーのような感覚がとても強かったレコード会社でもあったので。アーティストとしての青春時代でもあったんでしょうし、辛いこともいっぱいあったはずなのに、楽しい思い出のほうがはるかに多いですね
● 走り抜けたイメージもありますね。
松岡:そうですね。本当に
● その中で、ボスと呼ばれていた、エピックの丸山さんについては。当時の丸山部長を、松岡くんはずっとリスベクトしていらっしゃいましたよね。
松岡:そうですね。たぶん、エピックに所属していた全アーティストが丸山さんのことをリスベクトしていると思うんですが、僕はエピックに拾ってもらったことで『エピックの申し子』的な、そういう扱いをしていただいていたところもあって。その中にあって、丸山さんていう方は『ミスター・エピック』という感じで。僕がデビューした当時は、今おっしゃっていただいたように、肩書き的には部長だったはずなんですけど、誰もが社長のイメージだったんですよ(笑)。というか、ボスというか。まだ上の人が何人もいたはずなのに、その時から、最後エピックを離れ、果ては、本人がいなくなってしまってまでも、ずっとそうだったんですよね。なにがそうさせていたのか、未だにわからないんですけど
● 存在感かな。
松岡:そうですねぇ。実際にすごくよくしていただいていたんですが、デビューの時に…これは、あとから『松岡のデビューの時は、実は大変だったんだよ』って聞いた話なんですけど。最初、僕はノンストップという事務所に所属したんです。そこは、ナベプロの中にあったロック・セクションだったんですよね。だから、契約としては天下のナベプロと専属契約を結ぶわけですよ。その契約を交わす時に、当時、エピックの丸さんはイケイケだったので…今でいうエイベックスのような状況だったんです…だから非常に強気で、当時まだご健在だったナベプロの渡辺晋社長と渡り合おうとしたわけですよ。互角に。で、提示したものが、エピックが先に見つけた子だからということも含めて、簡単に言えば、フィフティー・フィフティーで、という話になったらしいんですよね。
だけど、天下のナベプロの社長としては『フィフティー・フィフティーなんてあり得ない』と(笑)。とにかく、最後の最後まで折れなかったらしいんです。その時にノンストップのボスが『でも、とにかく松岡とは契約したほうが良いですから』と最後まで粘ってくれたらしいんですよ。
それで本当の最後の最後になって、まぁ結果的には社長が首を縦に振って下さったみたいなんですが、伝説的に言い継がれているのが、最後、契約書を目の前にして、印鑑を押す時に、わざわざ契約書をひっくり返して
● 印鑑を、上下逆にして押したんだ。
松岡:そうなんですよ(笑)。それくらい、ナベプロの社長にとってみたら、ある意味、屈辱的なGOサインでもあったんでしょうね。ただ、僕は以前から芸能界も好きで、歌番組だけではなくて『カックラキン大放送』とか『ムー一族』とかも大好きでよく見ていたんですね(笑)。だから、その意味でも、僕は洋楽と邦楽の中間を、大手を振って歩くような人になりたいというのが、どこか憧れであったんですけど…。きっとナベプロに入ったことは本当は僕がもっと大切にするべき大きな意味があったはずなんですけどね。ただ、のちにナベプロを離れることになったいきさつも含めて、あの頃は本当にいろんなことに無知だったんだなと思いますね 。
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